大阪屋を覚えて中洲を知る

大正時代が終わる最後の年、福岡県福岡市博多区・中洲の街で和食居酒屋「博多石焼 大阪屋」は誕生しました。当店の歴史は、初代・西川清太郎が大阪から福岡に出てきて『味の大阪屋食堂』としてアイスクリン(アイスクリーム)屋を開いたところから始まりました。これが、当店が博多にあって「大阪屋」という店名である由縁でございます。

ご来店の際は、創業以来守り続けてきたご当地の味を、地酒と一緒にお楽しみください。博多の食文化をお伝えするという使命を持って、さらに多くのお客様にご来店いただけるような店づくりに今後とも努めていく所存です。

内観

地域貢献

変わることのない、地元への想い

博多は、新鮮な海の幸を楽しめることでも有名な街。その海鮮の美味しさをより多くの方に知っていただきたい―。そんな想いから、近海で獲れるあわびやウチワ海老などの素材の旨みを活かせる伝統の郷土料理であります「博多石焼」を当店の名物料理としました。大阪屋が愛するこの地の名をお料理名に取り入れ、“博多石焼”と命名。気軽に召し上がっていただけるよう、その他のお料理も含め、お手頃な価格でご提供しております。

お料理のご案内

地域振興

初代・西川清太郎が大阪から福岡に出てきて店を開いたことから始まった当店。以来移転することなく、ここ中洲で愛し愛される料理屋として居続けられるのは、ひとえに地域の皆様やお客様の支えがあってこそでございます。感謝の想いをより多くの方にお伝えするために、地域に根付く老舗であるために、博多どんたく港まつりや博多祇園山笠などを盛り上げる取り組みを毎年行っております。

博多祇園山笠
毎年7月1日にから博多部で催されるお祭り。700年以上の伝統があり、国の重要無形民俗文化財やユネスコ無形文化遺産にも指定されている祇園祭りです。
博多どんたく港まつり
博多で毎年5月のゴールデンウィークに開催され、約二百万人が集まる国内最大級のお祭りです。期間中は華やかなパレードが行われ、最終日の夜は「総おどり」で締めくくられます。

心よりのおもてなし

当店で過ごすひと時にご満足いただけるよう、心を込めておもてなしいたします。博多石焼や久作鍋は、お席で仲居が丁寧にご用意いたします。また、ご来店くださるお客様のもとへ感謝の気持ちを伝えるために、女将・西川ともゑができる限りご挨拶に伺っております。お料理の美味しさだけでなく、特別感や居心地の良さを感じていただけることが、お馴染み様に喜ばれている魅力の一つです。

女将の想いは

福岡を愛し、大阪屋を守り続ける現女将、西川ともゑ。福岡商工会議所女性会の会長として、地域の発展に尽力して参りました。その功績が認められ、平成30年には天皇陛下より春の叙勲を受章。現在も女性会の活動をしながら、店頭でお客様をおもてなしいたしております。お客様のもとへご挨拶に伺いました際には、いろいろなお話ができれば幸いでございます。

大阪屋の歴史

大正写真
大正
大正15年5月
現在の住所(中洲5丁目)にて『味の大阪屋食堂』を創業。関西からアイスクリーム製造機を販売する目的で来福した初代西川清太郎が、当時、まだまだ知名度が低かったアイスクリン(アイスクリーム)を食べてもらおうと実際に製造・販売したのが始まり。アイスクリンは夏場のみの季節商品のため、すき焼きも扱うようになる。「すきやきの殿堂」として一人前15銭で販売。
昭和写真
昭和
昭和9年
当店のものと思われるすき焼きが文中に登場。「ポケットに残っていた五十銭玉を、東中洲の盛り場で投出して、飯付十五銭の鋤焼を二人前詰込んだ我輩は、悠々とステッキを振り振り停車場へ引返した」
昭和10年
十銭洋食としてカレーライス、オムライス、チキンライスを新発売
昭和15年
2階建てビルに改築
昭和20年
福岡大空襲にて店舗焼失
昭和21年
営業再開
昭和28年11月
『株式会社 味の大阪屋食堂』設立1階は『食堂の大阪屋』、2階はすき焼き・水炊きの『大阪屋別館』 として2階建てビル改築蝋細工の食品サンプルを大阪より取り寄せ、福岡で戦後初めて店頭に置く

昭和写真

昭和30年
5階建て(一部2階建て)店舗ビル新築
昭和36年5月
1階食堂フロアを改装
昭和55年
博多名物の新たなメニューとして「博多石焼」を打ち出し、店名を 『博多石焼 大阪屋』に変更。店舗ビルを改築
昭和63年
5階建て店舗ビル新築
平成写真
平成
平成20年
社名を『株式会社 大阪屋』に変更
平成21年
石焼用の無煙ロースターを西部ガス株式会社と共同開発し、1・2階に設置するとともに店舗改装
平成26年
社名を『株式会社 博多石焼 大阪屋』に変更
平成27年
創業90周年を迎える
平成30年
女将・西川ともゑが春の叙勲を受ける。

現在の大阪屋の様子

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